録画していたNHKクルド人差別の番組を見たのですが、「日本人は差別をしない」と思っている人たちには耐え難い内容だったのでは、と思いました。

本当は、もう少し早い段階で、何が起きているのか報じた方がよかったのでは、と思っています。

大多数の人にはなにがなんだかわからないでいるうちに、大量の差別煽動書き込みがXに溢れ、それが既成事実化されていってしまっているという感触を抱いています。

こんなに広がる前に検証しておけば、なにがなんだかわからないで信じてしまう人への延焼は少しは防げたかもしれません。

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個人的には、福島関係で事故直後付き合いのあった人たちが、煽動する側にまわっていることもあり、その面でも気分が重くなります。

私は、当時のオンライン上のみの人間関係はほとんど残っていないですし(今も続いている人はリアルでの接触がある人たちだけ)、Xも見ないのですが、少し前に見たときに見事な排外主義コミュニティになっていて、ぎょっとしました。

煽動していない人も、相互フォローでずっと見ているうちに許容的になってしまうのだと思いますが、ふんわりと差別支持の雰囲気になっていて、そこでもどーんと暗い気分になりました。

ソーシャルメディア上のコミュニティは、洗脳装置に近い作用をもたらすものなのだ、と実感を持っています。人類には制御不能だと思う理由のひとつです。

ソーシャルメディアがよくないのは、人間関係を変えることが難しくなるところにもあると思います。

私はだんだんと続けるうちにオンライン上の仲間だった人とは考え方に距離が出てきて、それは現地活動の複雑さをオンライン上の人には理解できないことからすれば当然のことではあったのですが、それで距離を取るようにしたら、かなり逆恨みはされました。

人間関係が変更不可能、というのはたぶんにこの世を修羅化してしまうものなので、逆恨みをされても距離をとってよかった、と今でも思っています。

義務教育の学校のクラスの同じメンバーとヒエラルキー構造がそのままに死ぬまでずっと同じように付き合い続けなくてはいけない、というのは、人生に絶望するのに十分なことだと思うのですが、ソーシャルメディアの人間関係はそれに近いものがあると思います。

私のかつて付き合いのあった人たちも、ヘイトは許せない、というタイプの人も多かったと思うのですが、ソーシャルメディアで親しくしている人が煽動すると、それを許容してしまうようになるんだ、というのは衝撃でした。

YouTubeなどで陰謀論にはまって人間が変わってしまった、というエピソードはよく出てきますが、実のところ、そんなにはっきりとまわりにわからなくとも、マイルドに(部分的に)人間が変質してしまった人は膨大な数いて、そのことが現在の社会の異様な状態をもたらす理由のひとつであると思っています。

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